2011年2月9日水曜日

古信濃川の散策

古信濃川を歩いてみました。
古信濃川のスタートは八千代橋上流にある信濃川の取水(現在は排水?)口から始まります。


 この口は信濃川の土手を貫通し新潟市下所島排水機場へとつながります。
 これが下所島排水機場です。この下を古信濃川が流れていました。
ずーっと歩くと県道三条小須戸線に出ます。
この道が古信濃川。車の見える道路が県道。昔は信濃川の土手でした。
 左手の建物は「ロシアチョコ」で有名な「マツヤ」さんです。
 さらに東へ向かって歩きます。この道の先、左手に入ると水島稲荷があります。
 この交差点を突き抜けて新幹線の高架下を突き抜けて、川跡が続きます。
私たちは右に入り踏切を渡って駅南向かいます。

 天神尾に入りました。左マンション「リバティプラザ天神尾」の後ろは新幹線の高架です。
正面に見える大きなビルは工事中の「クレスンビル」です。


天神尾二丁目です。古信濃川の跡は緑地帯として残されていました。
巨大な「クレスン」が迫ってきます。 

今日はここまで

2011年2月7日月曜日

昔の流作場地図

この地図は江戸時代(元禄)のものです。川の中州であった島々(いろは島)は洪水のたびに変化していました。信濃川の流れは、図面左の上流から図面右の河口そして海へと流れています。右岸(図面下側)の新発田藩・沼垂町と左岸(図面上側)の長岡藩の間でその領有をめぐりたびたび争いになっていました。絵図では右岸が本流となっていましたが、その後流れは左岸へ移ります。島は右岸へ寄せられ「附寄島」と呼ばれるようになりました。右岸の川の流れはだんだん細くなり「古信濃川」「旧信濃川」と呼ばれるようになります。「附寄島」はその後「流作場」と呼ばれるようになりました。


この地図では現在の幸町・八千代・万代1~4丁目はまだ川の中です。万代橋のたもとは現在「流作場五叉路」と呼ばれ土手になっていました。五叉路から川下へ入ると現在のANAホテル(ホテル新潟)そして池の付近は国鉄病院、宮浦中学校そして右手に入ると「三社神社」があります。
万代町通りより南側はほとんどが田畑であることがわかります。その中を用水堀が通っています。
古信濃川は水色部分です。






 この地図には万代小学校がありますが、まだ長嶺小学校が作られる前のものです。大正の終わりから昭和の初めのころの地図です。萬代橋上流が埋め立てられています。青い線が古信濃川です。新潟駅は代々木ゼミ付近にあり、弁天公園が駅前広場でした。この当時にも万代島はありましたがこの地図では省略されています。



この地図では万代橋下流も埋め立てられていますが万代島は島の面影を残しています。広告マップのため若干正確性に欠けていますが、流作場五叉路付近に「北越商業高校」があります。万代小学校は「尋常小学校」と記入されています。その東側(右手)に女学校(旧/沼垂高校=現/万代長嶺小学校)、沼垂警察署(現/東出張所)、市役所出張所(現/交番付近)などが見受けられます。
なお、図面左端が「古信濃川」の川上に当たります。近くには気象台新潟測候所があります。河口は「下所排水機場」になっており、南万代小学校のプールもあります。

現在の「古信濃川の散策」で現在の風景(写真)を見ることができます。